自己実現タイムズvol.4
いま輝いているあの人も、はじめは普通の人だった。起業と失敗を経て、自分らしく生きる道を見つけた人にインタビュー。自分と向き合う一人時間に何を考えて実行していたのでしょうか。自分で幸せをつかみとった現代のシンデレラストーリーをお届けします。今回は、星つきレストランのシェフパティシエとして活躍しながら自身の会社を設立し、幅広くパティスリー事業を展開されている平瀬祥子さんに話を聞きました。
平瀬祥子
1979年、熊本県生まれ。高校卒業後、ホテルニューオータニ熊本に入社。渡仏し、パリのパリティスリーで修行後、「レストラン トヨ」でシェフパティシエを務める。帰国後「レストランアイ」などを経て、シェフの今橋英明氏とともに「レストランローブ」を開店。2021年にパティスリー事業会社ヒラセを開業し、金沢に「パティスリーローブ花鏡庵」を開店。レストランのシェフパティシエだけでなく経営者の顔ももつ。
撮影:三橋優美子
旬の果物や菓子が皿の上でいきいきとストーリーを紡ぎ、コースの最後に甘く幸せな時間を届ける平瀬祥子さん。レストランだけでなく、パティスリーに並ぶ焼き立てのフィナンシェやプリンのシンプルなお菓子もお手の物。ゴ・エ・ミヨベストパティシエを受賞するなど、日本を代表するパティシエだ。その原点は、お菓子とお菓子作りが好きな少女。しかし、ホテルに入社した当時はパティシエという職業を本業にしようという覚悟があったわけではなかった。
数年後、パリでのきびしい修業を突破したことで自信をつけ、レストランでアシェット・デセールを作るシェフ・パティシエに。帰国後は、今橋英明シェフと出会い、コース料理との協奏で魅了するデセールを作り上げ、ともに独立。ミシュラン一つ星を獲得するまでに。今橋シェフとの結婚を経て、パティスリーローブ花鏡庵などを運営する事業会社ヒラセを開業。この挑戦には、平瀬さんの修業時代を振り返って実現したい未来が託されていた。
“失敗しても経験は財産になる” 母の言葉で渡仏を決意
高校卒業後、地元ホテルのペストリー部門に入社した平瀬さん。少女時代は、お菓子が大好きで、プリンやクッキーをよく作っていたというが、はじめから天職と思っていたわけではない。入社して1年後の、あるできごとをきっかけにパティシエとしての覚悟が決まる。
「上長だったペストリーシェフがホテル内の派閥争いで仕事をボイコットするから、ペストリースタッフ全員が休むように言われました。それが私には意味のあることだと思えなかったので出勤すると言ったら、後日、私以外のスタッフが全員辞めてしまいました。皿洗いや皮むきしかやったことのない私はどうしていいかわかりません。でも、グループのホテルのシェフから、ウェディングケーキの仕込みの段取りを教わり、やりきったときに覚悟が芽生えました」
1ヶ月後には新しいシェフやスタッフが配属され再びチーム体制が整ったが、そこにフランス帰りのパティシエがいたことで、本場での修業に興味を抱く。
「この先どうしようと考えていた頃で、お世話になった人に手紙を書いて相談し、フランスで修業する以外に東京や専門学校に行く道も考えていました。母にも相談すると、“興味のあることは全部やってみなさい。失敗したとしても、経験は財産になる”と。この言葉が強く心に響いて、どこまでできるかやってみようと思い、フランス行きを決意しました」
23歳でフランスに渡った平瀬さんは、日本人の料理人コミュニティでパリ最古の「パティスリー・ストレー」の募集を知り、門を叩いた。月給は80ユーロ。日本円で1万円ほど。
「お給料を上げるためには自分の価値を上げるしかない。シェフに”この子は必要“と思ってもらえないと、給料は上がりません。それどころか、ただでも働きたい日本人がいるので、“いつでもやめていい”といわれる世界。シェフに求められるためには、とっさの言葉にパッと反応できるかどうか。語学も技術も磨かなくてはなりません。逆に言うと、目標がわかりやすかったので、やるしかないと思えました」
こうして小さな目標をクリアにしながら、平瀬さんは苦労を重ながら、パリで実績を積み上げていった。
シェフとディスカッションし、創造力を発揮するデザートづくり
パティシエと一口にいっても、パティスリーでケーキを作るのと、レストランでデザートを作るのには違いがある。パティスリーで経験を積んだ平瀬さんはパリで活躍する日本人シェフ・中山豊光氏の料理に惹かれ、「レストラン トヨ」で働く。新しい挑戦だ。
「カウンタースタイルでお客様の反応がすぐにわかる店でした。シェフパティシエとして初めてコースの中で自分の表現をしたら、お客様に眉をひそめられてしまったんです。繊細な中山シェフの料理に対して、私のデザートはフランスのお菓子屋さんのケーキをそのまま皿にのせたもの。コースの流れに合っていなかったんです」
パティスリーのケーキはショーケースに並んだ段階で緻密に計算された完成品。しかし、レストランのデザートはコースの料理やお客様の反応を見ながら完成させるもの。
「レストランのデザートは、パティスリーで学んだ基礎の応用編。くずしながら構築する世界で、考え方が根本的に変わりました」
平瀬さんは、パティスリーでフランスの季節や食材に対する感性や色彩感覚を磨き、ケーキを完成する技術を身に着けたあと、レストランのアシェットデセールを彩るセンスを着けていった。
32歳の頃、父の余命を知って帰国した平瀬さんは日本にとどまることを選択し、東京のレストランで働く。「エディション・コウジ シモムラ」を経て2軒目の「レストランアイ(後にケイスケマスシマに名称変更)」で、今橋英明シェフと共に働くことになった。
「それまでのレストランでは、シェフが主体になってコースを作り、そこに寄り添うデザートが多かったんです。でも、今橋シェフの場合は年が近いこともあって、ディスカッションしながらやれる。それが新鮮で、シェフとコースを自由に表現できる楽しみがありました」
しかし、オーナーの方針によって本店とメニューが統一されることになると平瀬さんは独立を決意。当初は一人でアシェットデセールの店を出すつもりで、今橋シェフに相談した。
「独立はしたいけれど、レストランでデザートを作ることも楽しいし、経営については不安があるという話をしたら、今橋シェフも独立を考えていたタイミングでした。だったら、一緒にやろうとなり、私も出資して、オーナーは今橋シェフというかたちで現在のレストランローブが始まりました」
女性料理人がキャリアを続ける選択肢をつくりたかった
レストランローブはオープンキッチンで、客席から料理人達がコースを作り上げる様子をステージのように眺めながら楽しむことができる。今橋さんと平瀬さんの2人のシェフがつくる最後まで楽しみの尽きないコースの流れは評判を呼び、ミシュラン一つ星を獲得。平瀬さん自身も2020年度のゴ・エ・ミヨベストパティシエを受賞。また、シェフの今橋さんとは結婚し、公私ともにパートナーとなった。
平瀬さんは歩みを止めず、次なる展開として2021年にパティスリー事業会社のヒラセを設立。焼き菓子などのオンラインストアをスタートし、2022年には金沢に「パティスリーローブ花鏡庵」を開店した。ヒラセを開業した目的の1つは、レストランとは別のお菓子の表現をやってみること。もう1つは、20代後半から抱えていた料理人としての問題を解決するため。
「女性は30歳を前にすると結婚へのあせりが出てきます。私もその頃に結婚を考えたことがありましたが、相手から仕事を辞めてくれと言われて仕事を取りました。お店を出したいという夢があったからです。仕事をとると家庭は持てない。なぜそんな選択肢しかないんだろう、ずっと思っていました」
短期間だけ手伝ったレストランで、30代のキャリアあるパティシエが妊活で仕事を辞めるという場面に立ち会ったこともある。
「せっかく30代までキャリアを積んで、やっとプライベートを充実させようというとき、会社に理解がないと辞めなくてはならない。なんて選択肢のない職業なんだろうと思いました」
平瀬さんが修業したパリでは、繁忙期でも、責任ある立場でも、当然の権利として休暇や早退が許され、誰一人として文句を言うスタッフがいなかったことも頭にあった。平瀬さんは事業会社をつくることで、どんな状況でもキャリアを働ける場をつくりたいとの思いがあり、今橋シェフもその思いに大賛成だった。また、パティスリーとレストランが両方あることで、菓子作りの基礎を培ってから、レストランでのデザート作りへ進むパティシエのキャリアステップの役割もある。
東京と金沢を行き来し、忙しさがいっそう増した平瀬さんだが、その表情は晴れやかだ。長年の思いをかたちにできたことについて、「パートナーや周りの理解や共感があってこそ」と感謝する。しかし、この道をつくってこれたのは、平瀬さん自身がそれをできる立場になるまでキャリアを築いてきたからにほかならない。苦しい場面もたくさんあったに違いない。
「すごく落ち込んだとき、最初のうちは仕事をやめたいと思いますよね。でも、その場を逃げないで、どう乗り越えるか工夫してみてください。5、6年経って、いろいろな局面を乗り越えてきた自信がつくと、壁ができるとそれが自分を成長させるチャンスだと思えます。フランスで極貧生活を送っていた当時も、この経験は今しかしたくないと思って、どう脱却するかを考えていました。苦しい局面を乗り越える努力をすると、心がきたえられますし、将来の選択肢を広げることにつながります。若いうちは思うようにならないことも多いですが、そんなときこそ自分にできることを増やしてみてください」
平瀬祥子さんのミータイムマネジメント
自己実現を果たすために、おすすめの一人時間の過ごし方を聞きました。
「フランスの修業時代は小さな目標を立てて、それをクリアするようにしていました。最終的な目標は自分のお店をもつこと。そのために、いま何をしなければいけないかを逆算します。初めは給料をいくらもらおうと考えて、そのためにテーブル番号を絶対に聞き逃さないようにフランス語で数を覚えるところから。そのうち目標は、ビザをもらうこと、シェフパティシエになること……次第に大きくなりますが、そのために何をするかを逆算するのは変わりません。忘れないように、紙に書いて貼っていたこともありますし、携帯電話にメモしたこともあります。小さな目標をクリアにすることが大きな夢を叶えることにつながります」
編集後記
平瀬さんの目の前の壁は年々大きくなっていたはずですが、自信をつけた彼女にとってチャンスの階段にしかならなりませんでした。独立し、事業を広げたあとは、自分でチャンスをつくり達成する力強さをもち、自らの世界を広げるだけでなく、料理界の働く未来に挑まれています。レストランローブは2023年夏に移転され、現在の場所は次世代シェフの育成の場となるそうです。シェフで夫の今橋さんとお互いに刺激し尊重しながら、パティシエだけでない料理人達の可能性を広げることに着手されます。意思のあるところに世界は広がり、それにふさわしい仲間やパートナーがあらわれてくれる。そんな連鎖が起きていることに感動さえしました。夏からの新しい展開も楽しみでなりません。
取材協力:レストランローブ
東京都港区東麻布1-17-9 アネックス東麻布2F
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