インタビュー「私の時間術」vol.1
人生の転機には一人時間が必要です。じっくりと自分と向き合う時間が、新しい未来を育んでいくから。自分の世界を切り拓いた人は、その時間で何を考え、どう行動に移していったのでしょうか。
今回は、全盲の世界を超ポジティブに生きる浅井純子さんが起業するまでの私の時間術を聞きました。
浅井純子
1973年大阪市生まれ。30歳で目の病気になり手術を繰り返した後、45歳で義眼を装着し全盲に。2012年にあん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得し、マツオインターナショナルにヘルスキーパーとして入社。同社に在籍しながら、2022年5月に暗闇ヘッドスパ「純度100」を開業した。
全盲の私が暗闇ヘッドスパを開業するまで
2022年5月。全盲の浅井純子さんが大阪市に暗闇ヘッドスパ「純度100」を開業した。
暗闇と静寂の世界で、視覚障害者からヘッドスパを受けることによって、新たな癒しが体験できるという画期的なスパサロンだ。これまで浅井さんは、目が全く見えないというハンディキャップを物ともせず、ポジティブに生きてきた。しかし、事業を始めるのはこれまでにない大きな挑戦となる。
振り返れば、浅井さんの人生は挑戦の連続だった。30歳でモーレン潰瘍を発症し、視覚障害者にとなってからは角膜手術を繰り返してきた。38歳で人工角膜手術を受けた後、盲学校へ入学し、あん摩マッサージ指圧師を受験。国家資格を得た後、アパレル会社でヘルスキーパーとして働いてきた。
盲導犬のヴィヴィッドを迎えて1年後に目は完全に見えなくなったが、ますます挑戦は活発化。小学校で盲導犬や視覚障害者について話すゲストティーチャーとして活動を始め、一般のイベントでも講演を行うようになる。2022年2月には書籍『目の見えない私が「真っ白な世界」で見つけたこと』を出版。テレビ出演などのメディア活動も増え、阪神タイガースの始球式やガンバ大阪のキックオフセレモニーにも登場している。
そして、今回の暗闇ヘッドスパ「純度100」の開業に至る。実は起業することは2年前からおぼろげに考えていたことだったそう。
「起業の目的は、視覚障害者が働ける場所をつくりたいということでした。きっかけは、同じ視覚障害者の人が『盲導犬を持ちたいけど、今の生活じゃ持てない』と言っていたこと。実はお金の問題なんです。盲導犬は無料貸与されますが、ドッグフード代や医療費といったお金は毎月かかります。私自身は働いていますが、多くの視覚障害者は働く場がありません。だったら働ける場をつくろうと思ったんです。本音を言うと、『働け!』と思う気持ちもあります。視覚障害者は目が不自由ですが、話すこともできるし、知的障害があるわけでもない。訓練すれば働けるんです。働いて税金をおさめれば、贅沢だってしてもいい。そういうことをわかってほしかったんです」
“暗闇”のキーワードで事業化のスイッチが入った
視覚障害者が働けるビジネスを模索し始めてからは、どんな事業がいいか、常にアンテナを張り巡らせた。
「当初、マッサージは全く頭にありませんでした。マッサージはあん摩マッサージ指圧師という国家資格が必要で、かつては視覚障害者の活躍の場でしたが、いまはリラクゼーションとうたわれ、健常者が入ってきていますよね。そうじゃなくて、視覚障害者が得意なこと、視覚障害者の立場が活かせる事業をしたかった。例えば、視覚障害者は手先を使って集中する作業が得意なので、ラウハラ編みの小物を作ってネット通販ができないか。ほかにも、廃材の野菜を仕入れてパックしておいて、スムージースタンドができないかと考えたこともありました。でも、今ひとつピンとくるものがなかったんです」
そんなとき、浅井さんと一緒にビジネスをつくりたい、出資したいという人達が3人現れた。当時、浅井さんはクラウドファンディングやビジネスコンテストに参加し、出資者たちに知られる存在になっていた。浅井さんに声をかけた人達はそれぞれ東京や埼玉、大阪でビジネスを展開する人物。2021年3月に始めて顔を合わせて、浅井さんの事業についてアイデア会議の場がもうけられた。
「そこで、出資者の一人から『視覚障害者にマッサージの世界を取り戻したいんだ』と言われました。正直、心は動かなくて、『ふーん』という気持ちで聞いていました。やはり健常者には勝てないというのが頭にあったので。でも、何度かアイデアを出し合ううちに“暗闇”というキーワードが出てきて、ピンときたんです。暗闇とマッサージを組み合わせるのは、今までにないコンセプトだし、真っ暗闇では健常者よりも視覚障害者のほうが優位。暗闇なら健常者に真似できない。そう思ったらスイッチが入って、『純度100』がかたちになっていきました」
できあがった暗闇ヘッドスパ「純度100」のコンセプトは、“福祉×リラクゼーション×エンターテイメント”。暗闇のヘッドスパは音楽もかけない、静かな世界。そのほうが自分に集中できてリラクゼーション効果が高まる、というのは浅井さん自身が全盲になって実感していること。初めて体験する人にとっては「なんともいえない解放感と安心感がある」という。さらに、暗闇を体験することは、健常者にとってはエンターテイメントにもなる。浅井さんをはじめとする視覚障害者がどんな世界で生きているのかを実感できるからだ。
こうして2022年5月に「純度100」はプレオープンを果たした。浅井さんは2984人もの友人にLINEを送ったり、テレビ出演で告知。すぐに予約は埋まり、順調なスタートを切った。
起業や挑戦の前にあった、妄想と言霊のチカラ
構想から2年を費やしてかたちになった「純度100」。事業を始める時期の一人時間では、“妄想”を大切にしていたそう。
「私が挑戦をするときには、必ず妄想がセットです。妄想をふくらませた世界には、成功への道しかありません。ゴールや完成形を思い浮かべることで、見えてくるものがある。いつも自分がニカっと笑っているところを想像します。目が見えないので書き留めるわけでもないし、メモするわけでもないんですけど、そうやって頭のなかに刻んでいたんでしょうね。すると、意識が変わって、何をしなければいけないかがわかり、次の行動がみえてきます。どんな挑戦も私にとっては時間がかかるし努力も必要です。でも、妄想と行動を繰り返すことが私の挑戦を支えています。妄想は、挑戦を叶えるために必要なことなんです」
成功して笑うことを妄想し、それを行動に移していくのが浅井さん流の一人時間。サロンを開業した途端に忙しさがピークになったが、忙しい期間はどのように時間をやりくりしていたのだろう?
「その期間は、友人との食事とウクレレなどの習い事をやめました。SNSもお休みしましたね。SNSは皆さんとつながる貴重な機会ですが、私にとってはとても時間がかかるので、事業に集中するために一時的に中断せざるを得ませんでした。もともとテレビもつけませんし、削れる時間はそういうところしかありません。ただ、夫のお弁当づくりなどの家事はおろそかにしませんでした。どんなときも無報酬で私を助けてくれるのは夫だけ。夫のおかげでいまの私ができています。これからも協力してもらわなくてはいけないので、そこは絶対手を抜きませんでした。ありがたいことにプレオープンでは100人以上の友人が来てくれて、いい経験が積めました。おまけに6キロ痩せました(笑)。今は、『純度100』を視覚障害者にとって夢の職場にするのが目標です」
将来、視覚障害者が楽しく働ける場としてつくられた「純度100」だが、実は浅井さんには事業の成功以外にもう1つ夢がある。それは講演家になること。そのために、さまざまなイベントに登場しているが、こうしたチャンスをつかむために大切にしていることがある。
「私は“言霊”を信じていて、何がやりたいかを周囲に公言するようにしています。例えば、始球式やキックオフセレモニーはどちらも自分から働きかけたわけではなく、周りがつなげてくれたご縁です。普段から、『盲導犬の理解してもらうための活動をしたい』と口にしていたことで、“始球式に出てみたらどう?”とか“ガンバ大阪に知り合いがいるよ”というヒントやチャンスがもらえるんです。自分で妄想することも必要ですが、思っていることを言葉として発することも大切。言い続けていれば、自分にはないアンテナを持っている人からのチャンスをポンと投げられることもある。それを受け取れるようにしています」
大きな話題になった阪神の始球式やガンバ大阪のキックオフセレモニーは、言霊がきっかけだったのだ。事業のほうでは現在、浅井さんはスタッフに技術を教えるマニュアル作りに奮闘中。今後は名古屋や東京に「純度100」を出店する計画もあるという。それだけではなく、暗闇をキーワードにヘッドスパだけでない事業を展開したいという話も聞かせてくれた。浅井さんの頭の中だけにあった妄想は、いま現実の世界で私たちの目に見えるかたちで大きく広がり続けている。
浅井純子さんのサロン出勤日のスケジュール
4:30 | 起床〜身支度・風呂 |
5:00 | 弁当、夕食づくり |
6:00 | ヴィヴィッドのブラッシング・餌やり・トイレ、夫の見送り |
6:30 | 浅井さんの一人時間=妄想、SNSチェック、友人との電話 |
8:00 | ヘルパーさんによる掃除、シャワー〜出勤の身支度 |
8:30 | 出勤 |
9:30 | サロン勤務 |
20:30 | 最終のお客様をお見送り、退勤 |
21:30 | 軽い夕食、夫とおしゃべり |
22:30 | 就寝 |
浅井さんの生活は完全に朝型。一人時間やSNSなどの自分の時間は、サロンワークで疲れて帰ってきた後ではなく、すべて朝にするようにしている。
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インタビュー後記
浅井さんと初めて出会ったのは2022年2月。彼女へのインタビューの仕事で大阪を訪れたときでした。その後もやり取りさせていただくなかで、「純度100」の開業を知って、本当に驚きました。講演家という自身の目標があるのに、視覚障害者の将来のためという目的で起業されたからです。
大きな障害をもつ浅井さんにとって起業がどれだけ大変なことか。事業を始めるには、専門職で働く以上にさまざまなことをやらなければなりません。例えば、私たちは物を記憶したり、予定や結果を確認したり、物事を整理したりするのにも視覚を利用していますが、それを全部、頭のなかで考えて処理しなくてはなりません。画期的なアイデアの事業だけにスタッフと新しく規則を作っていかなくてはならない場面も多くあります。起業の裏には大きな努力が必要だったことが想像に難くありません。
浅井さんはサロンの開業を乗り越えた今、スタッフ育成のためのマニュアル作りに励んでいるそうです。技術のマニュアル作成は文書と動画で作られています。見えないなかで修正を加えていくのは、想像を絶する根気と努力が必要です。
しかしどんな挑戦も浅井さんの原動力になっているのは、成功への妄想。そこから行動が促され、なんでも実現するチカラに変えています。浅井さんの頭のなかの妄想力は、視力を補ってきた分のたくましさが備わり、これまで乗り越えてきたものをバネにした力強さがあります。そのパワーから生まれた暗闇ヘッドスパの世界、ますます体験してみたくなりました。
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※2022年9月現在、まずは事業を軌道に乗せるため、浅井さん以外のスタッフは健常者です。
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